激おこ!私が潰瘍性大腸炎になって人生で一番ブチギレた出来事

潰瘍性大腸炎になってから、いろいろと人から冷たい扱いを受けてしまうといったことはあるでしょう。わたしも何度もあります。

時には怒る…ブチギレするようなこともありました。でも、わたしはなるべく冷静でいるつもりではいたんです。

今回はわたしが潰瘍性大腸炎になって一番ブチギレした出来事の話です。ちなみに大学時代。

一番のブチギレ、病気が理由で留年したこと

病気で入院するのでテストを受けられない

わたしは大学時代が病気のピークでした。そりゃもう1年に1回は入院するってぐらいです。

だいたい1~2ヶ月の入院ですが、その前後だって体調は悪いです。半年ぐらいはまともに生活できませんでしたね。

そんな中、入院がテスト期間とかぶってしまったんです。

  • …うぅ、お腹が痛い、血便だ…これは入院が必要だ。
  • でもテスト期間なのに…どうしよう。

安心して入院してきてね、と言われる

そんな悩みを大学の事務の人に相談したんです。そしたらとてもさわやかに

  • 学校のことはなんとかする!
  • だから安心して入院して、病気を治してきてね!

この言葉でわたしはすごく安心しました。これで心置きなく入院できる。

帰ってきたらそんなことを言った記録はない!と言われる

入院生活はいつだって過酷です。

  • 畳1枚のスペース。
  • カーテン1枚で仕切られた自分のスペース。
  • ボケ老人の叫び声。
  • 夜も眠れない腹痛。
  • 絶食治療。
  • 辛い検査

これらをがんばって乗り越え、ようやく退院です。体重が20kgほど落ちてガリガリの身体で学校に向かいます

ですが退院して『例のテストの件ですけど』と聞くと…。

  • そんなことを言った記録はない!
  • いつ?どこで?何時何分?

なんだこの子供みたいな事務員は。

ブチギレですよ…

そりゃキレます。ガンジーだって助走つけて全力でぶん殴るレベルです。

そこからは当然のごとく口論となりました。続々と集まる他の事務員。教授まで集まってくる。

周りには学生もいたりして、わたしを見てクスクスと笑うだけでした。誰ひとり助けようとはしません。『お前が逆の立場だったらどう思うよ?』と問いたい。

悲しいことに、このやりとりはすべて録音されていました。そしてそれをわたしの両親に送りつけ、『あんたの息子さんちょっと頭おかしいよ』的なことを報告してたんです。

最後に、『お前はちょっと頭おかしい、だからタクシー呼んでやったよ、だから帰れ。』的なことを言われました。

それに対して『バカにすんな!一人で帰れるわ!』と帰りました。うーん、なぜかうまく丸め込まれて撤退してますね。あの時は冷静さがなくて、正常な思考ができなかったんです。

なんとかしようと教授のもとを駆け回る

頭下げまくり

留年だと言われてハイそうですかと受け入れられるほどわたしは大人じゃないです。今は30半ばという年齢ですが、今でも同じことが起こったら同じことします。

とにかく、わずかな希望に賭けて教授のところを全部回り、頭を下げにいったんです。

当然ながら、結果は誰一人OK出ませんでした

人に笑われる

教授ってのはだいたい研究室にいます。研究室には他の学生もいます。

わたしが『お願いします!お願いします!』と懇願する姿を見て、笑う人がけっこうたくさんいました。

  • あまりにも必死だった。
  • ちょっと超えでかい。
  • 目立ちすぎ。

中には、『病気して単位もらえるなら俺も病気すれば良かった~』という人もいます。

これ、わたしの中でけっこう心に残ってる言葉ですね。わたしもその人には病気をおすそ分けしてあげたかったです。

トドメの説教

教授のもとを駆け回っているわたしのことが学校内で問題になっていたようで、わたしの学年の担当の教授がわたしに説教しにきました。

  • 病気だからといって特別扱いはできない。
  • 過去に、ガンを患った人もいたが、特別扱いはしなかった。
  • その人はせめて死ぬ前に卒業だけはしたかったと言ったが、それでも特別扱いはしない。
  • 君の気持ちはよくわかる。だがこれ以上問題を大きくしてもいいことはないぞ。

この問題で停学・退学もあったかもしれませんね。

わたしはもう限界でした。いつもは病気のことは隠していたし、怒ることがキライです。ですが、この時ばかりはキレてキレてキレまくりました。

人生において最初で最後の反論

ここからはわたしの生の声で書きます。

俺の気持ちはよくわかるだって?

五体満足の人間に何がわかるんだ!?

お前は俺の気持ちを理解した上でこんな扱いをするのか!?

ガンで死ぬ人だって特別扱いはしない?そんなこと俺には関係ない!

他人がガンで死のうが俺には知ったこっちゃない!

俺は!この身体で!この先もずっとずっと生きていかなきゃならないんだぞ!

今ダメだってことはこの先もずっとダメだってことなんだよ!!

世の中には学校をさぼったりして留年する人がいます。もっと上を目指したくて浪人する人もいます。

1年という時間とお金を失うというのも辛いことですが、何より病気が理由でダメってことは、治らない病気を抱えているわたしはこの先もずっとダメだってことが確定してしまうことが辛かったんです。

このあと、わたしは1日中原チャで走り回ってました。もう自分なんて事故って死んでしまえばいい、という気持ちで。そしてその後ひきこもりとなる。

まとめ

今振り返ってみると、この出来事はわたしの人生の分岐点だったと思います。この時が人生の中で一番のどん底でした。

たかが留年ぐらいで、という話ではないんです。病気で人生終わった、ということが確定した瞬間だったんです。

でも、わたしは人生を終わらせてくれたこと、引導を渡してくれたことにある意味感謝しています。わたしは誰にも負けない深い絶望を手に入れることができました。

自分の命を軽んじることができなかったら、大腸全摘には踏み切れませんでした。大腸全摘しなければ、わたしの人生はずっとどぶの底みたいな人生でした。

もちろん、大腸を全摘すればすべて解決というわけではありませんよ?わたしなんて未だに合併症やらで2年に1回は入院しています。腸閉塞だと命に関わる問題ですし、免疫疾患ですので得体の知れない合併症も起こってます。

でも入院期間が長くても1ヶ月だし、その前後で体調が悪くて生活できないということはなくなりました。一ヶ月くらいの入院なら有給休暇・傷病休暇・休職の範囲で余裕で対応できます。

今は普通に結婚して、子供ができて、年収1,000万近くとなりましたが、ちょっと道が違えば、

  • 30半ば
  • 独身
  • アルバイトを転々として年収100万

そんな人生もあったでしょう。かなり高い確率で。

この記事はネガティブなことばっかり書いていますが、『こんなことがあったんだよ~、大変でしょ~?』と同情を誘っているわけではないです。

人は絶望が深くても立ち上がることができる、ということを伝えたいんです。

きっと、わたしのように誰にも優しくされない、いいことなんて1つもない、という人はいるはずです。過去のわたしのように。

残念ながら、ドラマチックな感動的な出会いとか、立ち上がるきっかけなんてものは訪れません。出会いとか一発逆転のチャンスとかを運任せで待っていてはいけないくて、立ち上がる時はいつだって自分の足だってことです。

ネガティブしかないなら、そのマイナスを推進力に変えるしかないんです。わたしは、わたしをバカにした連中を見返してやりたいという怒り・恨みからの復讐心でずっと燃えています。

その結果が年収1,000万であり、わたしはさらに2,000万、3,000万まで狙ってます。ちゃんと会社も興して、わたしの末代まで繁栄するようにしたいと考えています。

逆に言えば、超ポジティブだけど30歳で独身でアルバイトを転々としている人だっています。

人がお前は病気だから、ネガティブだからダメなんだとか、そんなことは一切関係ないです。ネガティブこそがわたしの力です。

潰瘍性大腸炎のみんな、がんばれ!

…ということほど酷なことはないでしょう。病気に耐えるだけでも相当がんばってます。これ以上、何をがんばれと言うのか…。

だからがんばれとは言いません。でも、わたしは潰瘍性大腸炎を患いながらも逆転する様を見てみたいです。

 

…こういうこと書いているとまたGoogleから低品質判定されるのだろうか…。