はじめまして。
わたしは過去に病気で大腸を全摘しております。
病名は”潰瘍性大腸炎”です。
おそらく多くの方が聞いたことのない病名でしょう。
日本の有名人だと、阿部首相や若槻千夏が同じ病気です。
海外のスポーツ、サッカー選手だとダレン・フレッチャー(マンチェスターユナイテッド)がいます。
いろいろと不自由なことはありますが、大腸があったころよりは自由です。
目次
潰瘍性大腸炎だったころ
13歳で潰瘍性大腸炎を発症
潰瘍性大腸炎は若い人に多い病気と言われています。
そのなかでも13歳で発症というのはかなり早いほうなのでしょう。
症状が下痢や血便ということもあり、13歳という年齢では周りからよくバカにされたものです。
当時、神経の病気で車椅子の女の子がいました。
みんなはその子には優しかったのですが、下痢・血便を繰り返すわたしには冷たかったのを覚えています。
23歳で大腸を全摘
何度も入退院を繰り返した末、大腸を全摘しました。
潰瘍性大腸炎患者が大腸を摘出するケースは2つ。
命に関わる重症のため、大腸を摘出する。(絶対適応)
または、生活に支障が出るため、健康でも大腸を摘出する。(相対適応)
わたしの場合は後者の相対適応です。
かつては相当悩んだものです。
神経の病気で車椅子に乗った女の子。
彼女はみんなの支えもあり病気を克服していきました。
わたしは誰からもやさしくされず、1人孤独に大腸を全摘しました。
大腸を全摘してから
大腸全摘後の生活
潰瘍性大腸炎は大腸を摘出したらそれで終わり、というわけではありません。
わたしの場合は大腸を全摘してからもいろいろ大変で、何度も合併症を繰り返しています。
腸閉塞などにより、大腸を全摘してからというもの、かれこれ4回ほど入退院を繰り返しています。
そして体力が劇的になくなりました。
とにかく疲れやすい身体です。
疲労が原因で高熱を出してしまうことがあります。
ボロボロな身体ですが、なんとかがんばって今を生きています。
そして現在、30歳
わたしは人から助けてらもらえることが少なかったです。
ゆえに、個人の力を高めることに専念できました。
今では結婚もし、子供もいます。
情報処理の国家資格を複数保有しプロのシステムエンジニアをやっています。スポーツでも大会に出場し上位10%の成績を維持しています。
病気で苦しんでいた頃は想像もできない未来でした。
不利な戦いを何度も乗り越えてきたように思います。
これからもハンデを抱えた上でたくさんのことに挑戦していきます。
ブログで書いていきたいこと
わたしの病気だった人生をただ苦しかっただけの出来事にしたくはありません。
自分の経験を通して、子供に大切なことを伝えていきたいです。
また、ハンデを抱えているからこそ、できないようなことにチャレンジしていきたいです。
あわよくば、今病気で苦しんでいる方にとって、ちょっとした勇気を与えられたらうれしいですね。
おわりに
潰瘍性大腸炎は見た目は普通ですし、症状も腹痛・下痢・血便といったもので、なかなか人の理解を得られない病気です。
阿部首相もとあるテレビのアナウンサーに”お腹が痛いといって首相を辞めてしまった人”と揶揄されたことがあります。
わたしが潰瘍性大腸炎患者の汚名返上ができるようがんばります。