今回はわたしが潰瘍性大腸炎になり、本格的な闘病生活の始まりと復学について書かせていただきます。
ちなみに前回の記事は下記のものになります。
復学、といっても数ヶ月程度の休みだったので休学ではないです。
ちょっと適当な言葉が思いつかなかったので、「復学」とさせていただきました。
目次
本格的な闘病生活の始まり
わたしは13歳の時に潰瘍性大腸炎を発症し、はじめて入院というものを経験しました。
最初は病気がなんなのかわからず、いろんな病院に行きました。
少し大きな病院で潰瘍性大腸炎ということがわかり、さらに大きな大学病院を紹介されました。
そこからわたしの人生において、本格的な闘病生活が始まります。
絶食治療
まず真っ先に始まったのが絶食治療。
有効とされる薬はあるものの、潰瘍性大腸炎は現時点では完治しない病気です。
投薬以外の治療では、大腸に刺激を与えないよう「絶食治療」をします。
読んで字のごとく、治療している間は何も食べることができません。
そんな治療が数ヶ月続きます。
その間は点滴のみ。
点滴といっても腕に針を指すタイプではありませんよ?
中心静脈カテーテルといって、鎖骨の下にある太い静脈から心臓近くまで管を通し、そこから栄養を流し込むものです。
高い栄養を流し込むとき、細い静脈では血の濃度が薄くなってしまい、静脈炎というものを起こしてしまうのです。
鎖骨からうまく入れられないと首から入れたりするので見た目的にちょっと怖いんですよね。
あとは感染症のリスクがあったり。
普通の点滴と比べると厄介なところはありますが、両手が自由に使える分ちょっと楽だったりします。
のんきですよねぇ〜。
ステロイドの大量投与
ステロイドという薬をご存知でしょうか?
スポーツ選手なんかが勝つために反則して使う薬ですね。
この薬は副作用がかなり強いです。
一生涯のうち累計で1万ミリグラム以上は飲むべきではないとされています。
1万ミリグラムを超えると重い副作用が出るとも言われています。
重い副作用には、大腿骨頭壊死などがあり、まぁざっくり言ってしまうと歩けなくなってしまうこともあります。
実際にわたしは、潰瘍性大腸炎の治療によるステロイド投与で、大腿骨頭壊死になり歩けなくなってしまった人を見たことがあります。
当時のわたしはまるで他人事でした。
最終的にわたしは2〜3万ミリグラムほど飲むことになるのですがね。
耐え切れなかった治療
中学1年生には過酷な入院生活でした。
大腸の検査って結構たいへんなものが多いんです。
大腸カメラは2リットルの下剤を飲まなければなりません。
これは本当に大変ですよね。
入院しているとそんなのを短期間で何回もやったりします。
あの頃のわたしはそれまでの生活と入院生活とのギャップが大きすぎて耐えられなかったんです。
泣いて「もうできません!」と検査を拒絶しました。
検査は延期(中止ではなく)となりましたが、両親にこう言われたのを今でもはっきり覚えています。
「お前には失望した」
30歳となった今のわたしなら両親の自分に対する評価なんてなんとも思いませんが、当時のわたしにはそれがすごくきつかったですよね。
でも一般的な中学1年生が何度も繰り返される大腸カメラに、なんの不平不満もなく乗り越えられるとは思えないんですよ。
…そうであってほしいです。
無事に退院、学校に復帰
辛かった闘病生活も一旦落ち着きました。
この時のわたしは「終わった!」という気持ちでしたが…。
まさかその後、10回以上も入退院繰り返すなんて思いもしませんでしたね。
居場所がなくなっていた
今でこそ友だちの少ないわたしですが、当時はたくさんの友だちがいました。
むしろ、今わたしに友だちが少ない原因はここにあります。
わたしが入院したのが3月、退院したのは5月でしたので、ちょうどクラス替えがありました。
同じクラスにたくさんの友だちがいるのはわかっていたので、きっとみんな自分の復帰を待ってくれているだろう!そんな期待がありました。
しかし現実は、わたしの居場所はなくなっていたのです。
わたしは胸を踊らせながら「ガラっ!」と教室の扉を開けます。
すると、みんながわたしを見る。
その場の空気はしーーーんと、凍ってしまいました。
近くにいる知り合いに自分の席の場所を聞き、着席。
あのなんとも気まずい空気はわたしの人生の中でもトップ5に入りますね。
むしろハブられていた!?
5月の学校行事で親睦を深めるためのお泊り会がありました。
グループ決めなどはすでに終わっていたのですが、わたしは当然仲の良かった友だちと同じグループだと思っていました。
ところが、仲の良かった友だちグループの中にわたしの名前はなく、むしろクラスに常に数人はいるハグレのグループにわたしの名前があったんです…。
なぜそのようなことになったのか、なぜわたしがハブられてしまったのか。
わたしには怖くて直接理由を聞くことができませんでした。
それでそのまま、わたしはハグレのグループで中学時代は過ごすことになりました。
まぁおそらく理由は、来るかどうかもわからない人をグループに入れるのは非効率だから、だったんだと思います。
まとめ
記事が長くなってきてしまったので今回はここまでとします。
病気とは、身体にダメージを与えるものではありますが、別の形で心にもダメージを与えてきます。
わたしの人生において病気さえなければ!と思うことは数えきれほどありました。
大変なこと、辛いことはたくさんありました。
今書いていることからはハッピーエンドは想像できないかもしれませんが、今わたしはそれなりに幸せな生活ができていると思います。
病気の話を詳しく書くとどうしてもネガティブな記事になってしまいましたが、ハグレにされたことも、今のわたしの人生においては必要なことだったのかもしれない、そう思うこともあります。
今ではわたしをハグレにしてくれた人たちにすら感謝しています。
闘病記録第三回はこちら。